ニール・アンダーソンの脱出の道より...教理確認 父、子、聖霊として存在しておられる、生ける唯一の真の神がおられ、(出エジプト記20:2,3)その神は、創造主、ささえ主、すべての物の始まりであり、終わりである方であり、すべての誉れと賛美と栄光を受けるにふさわしい方であることを認める。(イザヤ43:1,7,21、黙示録4:11,5:9,10) イエス・キリストはメシヤであり、人となって私たちの間に住まわれたことばであることを認める。(ヨハネ1:1,14)キリストは悪魔のしわざを打ち壊すために来られ、(Ⅰヨハネ3:8)すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、勝利をおさめられたことを信じる。(コロサイ2:15) 私がまだ罪人であったときに、キリストが私のために死んでくださったゆえに、神が私に対するご自身の愛をすでに示してくださったと信じる。(ローマ5:8) 神は、私を暗やみの圧制から救い出して、ご自分の御国に移してくださり、キリストにあって、私は贖いと罪の赦しを得ていることを信じる。(コロサイ1:13,14) 私は今、神の子どもであり、(Ⅰヨハネ3:1~3)キリストとともに天の所に座っている者であることを信じる。(エペソ2:6)私は、恵みのゆえに信仰によって救われたのであり、自分の行ないによるのではなく、それが賜物であることを信じる。(エペソ2:8) 私は主にあって、そしてその大能の力によって強められることを選ぶ。(エペソ6:10)私の戦いの武器は、肉の物ではないゆえに(Ⅱコリント10:4)肉を頼りにはしない。(ピリピ3:3)私は神のすべての武具を身に着け、(エペソ6:10~17)信仰に堅く立ち、邪悪な者たちに立ち向かうことを決意する。 キリストを離れては私は何もすることができないことを信じ、(ヨハネ15:5)私がキリストに頼っていることを断言する。多くの実を結び、神に栄光を帰するために、私はキリストにとどまることを選ぶ。(ヨハネ15:8)私は悪魔にイエスは私の主であると告げ、(Ⅰコリント12:3)私の人生において、いかなるにせの賜物や悪魔のわざをも拒否する。 真理は、私を自由にし、(ヨハネ8:32)光の中を歩むことが交わりの唯一の道であることを信じる。(ⅠヨハネⅠ:7)それゆえにすべてのはかりごと【思い】を とりこにしてキリストに服従させることにより、悪魔の欺きに立ち向かう。(Ⅱコリント10:5)聖書が唯一の権威ある規範であると断言する。(Ⅱテモテ3:15~16)私は愛をもって真理を語ることを選ぶ。(エペソ4:15) 私は、私の身体を義の器として、聖い、生きた供え物として捧げることを選ぶ。そして、神のみこころが、良いことで、受け入れられ、完全であることを証明するために、神の生けるみことばにより、自分の心を一新する。(ローマ6:13、12:1,2)私は古い人をその邪悪な行ないと一緒に脱ぎ捨てて新しい人を着たのであり、(コロサイ3:9,10)私はキリストにあって新しく造られた者であると断言する。(Ⅱコリント5:17) 私は、私の天の父に私を御霊で満たしてくださり、(エペソ5:18)すべての真理に導き入れ、(ヨハネ16:13)私が肉の欲望を実行に移すことなく、罪を超越して生きていくことができるよう、私の人生を強めてくださるようにお願いする。(ガラテヤ5:16)私は肉を十字架につけ、(ガラテヤ5:24)御霊により歩むことを選ぶ。 私は、すべての自分本位な目標を捨て、愛を究極の目標として選ぶ。(Ⅰテモテ1:5)最も偉大な命令である、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして私の神である主を愛すること、そして自分の隣人を自分自身のように愛することに従うことを選ぶ。(マタイ22:37~39) 私はイエス・キリストに天と地における一切の権威が与えられており、(マタイ28:18)キリストがすべての支配と権威のかしらであることを信じる。(コロサイ2:10)私はキリストのからだの一部であるから、キリストにある私に、悪魔とその悪霊たちが従わなければならないことを信じる。(エペソ1:19~23)それゆえ、私は神に従い、悪魔に立ち向かえという命令に従って、(ヤコブ4:7)悪魔よ、キリストの御名により私の前から立ち去るように命じる。 |